たかが枕という勿れ
次のコーナーを回れば人生終わりというところまできた。
高齢者と呼ばれる日が来るのもそう遠くはない。
そんな、こんな歳になってあることに気づいた。
2019年春に帰国した際のことだ。
タイ国境がいきなり閉まって帰国できなくなった。
いつ開くかも分からない。
それで仕方なく友人宅やホテルを転々とすることになった。
1ヶ月の滞在のつもりが、結局10ヶ月に伸びた。(10ヶ月で済んで幸いだったとも言えるが。)
ビザを更新してすぐの帰国だったので、かろうじてビザが生きたままタイに帰れた。ほんと良かった。
それでこの歳まで考えたこともなかったことがあることがわかったのだ。
なんでこんなことに気づかなかったのだろう。不思議といえば不思議である。
ホテルからホテルに何回か移動することでわかった。
それは枕クオリティだった。
泊まるホテルなどで枕クオリティは千差万別。
短いところで1週間。長いところでは1ヶ月ほどの滞在だったがこの実験には十分だった。
その枕々で寝付きや眠りの深さが変わるのだ。
驚きだった。
このブログの読者には、何あたり前のこと言ってるのだと、ぼくの不甲斐なさの方に驚かれるかもしれない。
いや、人生における気づきの対象や時期は人さまざまなんだと、ここではと抗弁しておこう。
それでタイに帰って自分で「理想の枕」を作った。通気性の良いメッシュカバーの中に、衣類を詰めたたわいない枕なのだが、高さ、硬さ、大きさ、共に申し分ない。
(以下は西川のウエッブイメージを拝借)
それから、かなりよく眠れるようになった。
枕でこうも違う就寝タイムを過ごせることも確信した。
一日7時間、一年2555時間、80年の人生として8516日=23年間。ものすごい長い時間だ。
この時間だけでも気持ちよく過ごせるなんて、素晴らしいことじゃないかい。
もちろん、眠れない日、寝起きの悪い日だってあるが、それだって、枕が良いことで、何らかの理由で眠りに支障をきたす異変が起こっているということを告げるサインにかわる。大袈裟だが。それを枕健康予報とでも言っておこう。
ともかく、たかが枕、されど枕なのだ。夢夢あなどる勿れ。
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